こんにちはYuriです。
この記事は離婚のお話1~3の続きです。
「離婚のお話1」から順にお読みいただけると幸いです。
浮気がバレて、開き直る旦那。
浮気がバレてからというもの、旦那は別人でした。
よほど私たちに出て行って欲しいのでしょうか、
悪の部分を全面に出してきます。
彼女からはバンバン電話がかかってくるし、
もうコソコソする気配もありません。
彼女も傷ついて大変なんだ!と私に話してきたり、
全然家にいないし、子供の相手もしません。
出ていけ!と言わんばかりのメンタル攻撃。
幸い、私や子供に対して暴力はありませんが、
この頃の生活が一番キツかったです。
幼稚園のない週末は、実家へ泊りに行き気分転換していました。
旦那に対して、腹立たしい気持ちと、
それでもやっぱり好きなんだ…
何故こんなことになってしまったんだ…
という深い悲しみが交互に訪れ、本当につらい日々でした。
私の心身疲労はピークに
頑張っても食事が喉を通って行かない、胸が苦しい状態が続き、
衝撃の告白から3ヵ月で12キロ痩せました。
元気な時は1キロ痩せるのも大変なのに、
メンタル攻撃にあうと、簡単に体重って減るんですね。
もともと160cm53kgの中肉中背・普通体型だった私。
どの洋服でもMサイズ買っておけば間違いない普通の体型。
もう少し痩せたいな~なんて思っていましたが、
いざ12キロも痩せてみると、骨太のため全てのアバラ骨が浮き出て、
骨盤、肩、鎖骨などの骨の形が目視で確認できるまでに。
そして元々大きかったオッパイは、干し柿のような形に。
洗濯板のようなあばら骨の上に干し柿が2つ…
干し柿ですよ。干し柿。
もう悪夢です。
おっぱいは脂肪でできていることを再確認しました。
痩せたら色々な服が着られると思っていたけど、
骨っぽさが酷くて薄着なんてできません。
Sサイズでもブカブカで洋服選びに苦労しました。
(と言っても、買い物に行く元気はないので調達するのは実母や父ですけど…)
ズボンが落ちてしまうのでベルトをすると、
ベルトと骨が当たりアザができました。
子供がいるからかろうじて生きている状態。
子供のために、私がくじける訳にいきません!!
何か食べなきゃ!!!
色々口に入れた結果、なぜか「しめさば・餡ドーナツ・わさび漬け」がスムーズに食べられるので、この3品でカロリー摂取。
そんな状態で何とか子供たちは年度末を迎え、春休みに突入しました。
旦那「俺が出ていく」宣言
いつまで経っても出ていく気配のない私たちにしびれを切らし、
旦那は「俺が出ていく」と宣言。
宣言通り、3月末にはアパートを探し、4月半ばに出ていきました。
もう、どうなってしまうのか、私にも行く末がわかりませんでしたが、そのうち戻ってくるだろうと思い放置することに。
泣いてもわめいても、暴れても、怒っても、出ていくことに変わりないし、私にメリットはありません。放置するしかないのです。
驚くことに、義父母はずっと私の味方だったのに、息子の引っ越しを手伝うし、料理の差し入れを持っていったりしていました。
息子に嫌われたくないし、嫁や孫に出て行ってほしくない思いで、ちょっと変になっていたと思います。
娘達にパパが出ていくことを話すのが、本当に本当に辛かった。
引っ越しの日、私は子供を連れて実家へ行きました。
実家の和室で、子供に話があるんだ…と
3人で正座で向き合い話しました。
「実はね、パパは一緒に暮らせないことになって、
パパ1人で出ていくんだよ。
別のおうちで暮らすことになったの。ごめんね。」
まだ6歳と3歳の娘達に悲しい現実を言わなければいけませんでした。
2人ともすぐに嫌だ!嫌だ!と泣き出しました。
私も一緒に泣きました。
たくさん、たくさん3人で泣いた後、長女が、
「まって!だからママずっと元気がなかったの?
もっと早く言ってくれれば、私が助けてあげたのに!!」
と私を気遣ってくれました。
次女が「私もママ助ける!」と抱きしめてくれました。
もう胸がいっぱいで、子供の言葉が嬉しくて、
こんなに小さな子供たちなのに、私にくれるエネルギー、愛情、優しさはすごいものだと知りました。
私は2人の娘のためにも、もとの家族に戻れるように、出て行かずもう少し耐えようと思ったのです。 つづく