こんにちはYuriです。
これは「離婚のお話1」の続きです。
長くなりますのでご興味のない方はスルーして下さい!
旦那、精神科に入院。
衝撃の告白の翌日。
私は人生で初めて悩みすぎて一睡もできませんでした。
一晩中色々なことを考えたけど、解決策も何もわからず、
悲しさ、悔しさ、惨めさ、寂しさ、後悔、
不安などなど、心も頭も完全にパンク状態。
子供を旦那の両親に託し、旦那と2人、
車で1時間かけ大きな総合病院へ。
病院へ着くと色々な手続きをし、旦那とはしばしお別れ。
自殺願望がある人用の入院病棟は、窓に鉄格子、脱出不可、
家族以外の面会不可、凶器となりうるものや紐状の物の持ち込み不可。
部屋にはテレビもなく、部屋からの出入りも当面はできないという、
なかなか厳しい病棟でした。
刑務所のような何もない部屋を見て、
ちょっとだけ「ここで頭冷やせ!」と思ってしまった私…
家族以外面会禁止なので、少なくとも入院中に彼女と会うことはないという安心感もありました。
入院中の出来事
旦那がいなくなって、子供と3人で過ごすことになりました。
まだ子供は幼稚園の年長さんと年少さんでしたので、
「パパは病気で少し入院してるんだよ。」とだけ説明しました。
家族とはいえ子供は面会できないので、退院するまで会えません。
私はこのまま旦那の離婚したい意思が変わらなかったらどうしよう…
子供と3人でどうやって生きていこう…と思うと、
少ししか眠れないし、何も食べられませんでした。
胸がいっぱいでご飯が食べられないというのも、人生初でした。
子供と一緒に食事をするので、子供が「どうしてママは食べないの?」と心配します。笑顔でご飯粒を少し飲みこむのがやっとで、本当に困りました。
ちゃんとしなくちゃ!頑張らなくちゃ!
そう自分を奮い立たせ、頑張って飲み込んでいました。
頑張る気持ちとは裏腹に、どんどん体重が落ちました。
元気な時はダイエットしても全然体重落ちないのに、
メンタル的にやられると一気に体重が減るということを知りました。
旦那がいない間、旦那の両親もかなり私に気を使い大変だったと思います。
そして自分の母親には毎晩電話して励ましてもらいました。
いっぱい心配をかけたと思います。申し訳ない。
改めて、母や家族の偉大さ、ありがたさに感謝しました。
入院中は旦那から1日に何度も電話がありました。
寂しがりの旦那には、入院翌日には、死にたいより寂しいが勝ったようです。
ちょっといい気味です。
「あのパジャマを持ってきてほしい」
「枕が合わない」
「電話に使う小銭が足りない」
「靴下は厚手がいい」などなど、
何だかんだ理由をつけ、結局入院中、私は毎日病院へ面会に行きました。
私も精神科の診察を受けることに
面会に行くと、担当医の先生が私に状況を話してくれます。
旦那さん、うつ病ではないですが、抑うつ状態なのは確かです。
病名の診断は難しいです。
本人は早く退院したがっていますが、奥さんの方が心配です。
奥さんが安定するまで入院してもらった方がいいでしょう。
奥さんも診察受けていきますか?
私は一生お世話になることはないと思っていた、精神科の初受診となりました。
ちなみに家族は同じ先生が診察しない方がいいらしく、別の先生です。
ずっと旦那のストレス、環境、生い立ち、体調などなど、病院で旦那の話ばかり病院でしていたので、私の体や心のことを考えてくれる先生の存在に涙がでました。
安定剤と睡眠薬を処方され、その日から夜の眠れない問題は解決!
安定剤の効果は正直よくわからず、1日3回と言われても飲み忘れるし、
私におきている問題を安定剤で解決できると思えず、
飲むのをやめてしまいました。
睡眠薬もやめたかったけど、飲まない日は朝まで眠れず、
翌日に支障が出るので、毎日お世話になっていました。
旦那からの衝撃の告白(彼女がいること、離婚したいこと、自分の子供が好きじゃないこと)も、病院の先生に「病気のせいでは?」と、尋ねましたが、残念ながら病気とは無関係でした。
旦那が退院して家に戻ることに
病院が年末年始で手薄になることや、インフルエンザの流行も考慮され、
約3週間の入院で退院。
その頃には「また家族と暮らしたい。また頑張りたい。」と言ってくれたので、
私の気持ちは複雑でしたが、家に帰ってきました。
パパが帰ってきて子供たちは大喜び。
旦那もニコニコしていたので、安心しました。
彼女とはもう会わないというので、そこは信じることにしました。
また死にたいモードに入ってしまうといけないので、私も怖くてそのことに触れることができませんでした。
ここから3ヵ月ほど、自宅療養が始まります。。。 つづく